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「マジシャンとセクシーな助手の関係よ」

 僕たちの間柄を、彩華さんはそんな風にたとえた。

 期待したなら申し訳ないけれど、主従的には甥っ子である僕がセクシー助手の立場になる。すなわち箱に詰められてぷすぷす剣を刺されたり、箱に詰められて体を半分にされたりする役回りだ。

 実際箱には詰められていないけど、掃除洗濯食事の支度に、はては「イチゴのつぶつぶ全部取って」なんてわがまままで言われるのだから、彩華さんの鬼畜ぶりはマジシャンのそれと大差ない。

 しかも最近は、助手に要求する仕事のレベルがどんどん上がっているのが困る。

「明日は何をやらされるのやら……」

 先の暮らしを憂いつつ、僕は軽く焼き目をつけたマフィンにベーコンとポーチドエッグを乗せた。仕上げにバター風味のオランデーズソースをかけ、キッチンから叔母を呼ぶ。

「彩華さん、ごはんできましたよ」

 返事はない。いつものことである。

 同居するようになってかれこれ一ヶ月経つけれど、我が家のボスが時間通りに目を覚ましたことなど一度もなかった。九つ差という歳の近さも相まって、近頃は叔母というより、できの悪い姉ができた気分でいる。

「入りますよ。ノックは二十回以上しましたからね」

 とりあえず服だけは着ていてくれよと祈りつつ、僕は寝室のドアを開けた。

「……なんつー格好で寝てるんですか」

 あちこちに衣類が脱ぎ散らかされた部屋の中央、天蓋つきのお姫様ベッドの上で、彩華さんはスマートフォンを握り締めたまま突っ伏していた。

「もうお昼ですよ彩華さん。依頼人がきちゃいますよ」

 白い背中から目をそらしつつ、めくれ上がったルームウェアを元の位置へ戻す。そのまま華奢な肩を揺すっていると、よだれで輝く口元がもごもごと動いた。

「……レンくんお願い。あと六時間九分寝かせて」

 菱橋連太郎という僕の名前を、彩華さんはそんな風に呼ぶ。

「生活サイクルをゲームのスタミナ回復待ちに合わせないでください。二十八にもなってこんなズボラな生活をしている叔母が、僕は恥ずかしいです」

 最近の彩華さんはスマホの女性向け恋愛ゲーム、『俺に触ると風邪ひくぜ』にハマっている。きっと昨夜も「のど風邪」を擬人化したイガラシくんに、せっせと貢いでいたのだろう。

「……妬かないでレンくん。昨夜の彼、本当に素敵だったの。おかげでたくさんプレゼントしちゃったわ」

 ウフフと笑う彩華さんの髪はボサボサで、薄く開いた目は充血している。恋をすると人は詩人になるというけれど、この人の場合はむしろ死人だ。

 まあ……彩華さんが二次元世界に逃避してしまうのは仕方ない理由もあるのだけれど。

 僕はやるせない気分を晴らすべく、大きな窓の外に目を向けた。

 きらきらと太陽を照り返す横浜の海。

 立ち並ぶベイサイドの高層ビルと観覧車。

 ここはみなとみらい地区にそびえ立つホテル、その最上階にあるロイヤルスイートルームだ。

 まったくもって信じがたいことに、この一泊ウン十万円の部屋が僕たちの住む家になる。

「自分で稼いだお金をなにに使おうが自由ですけどね。ゲームに課金しすぎて宿代を滞納している現状は把握してくださいよ。オーナーのご厚意だって有限なんですから」

 ホテルの経営者に仕事で「貸し」を作った結果、彩華さんはこのスイートにカプセルホテル並の宿泊費で滞在を許されている。なのにそれすら払えないのだから、恋する死人が画面の彼に貢いだ金額は推して知るべしだ。

「……レンくん大学は? ちゃんと友達できたの?」

「もう午前の授業を受けてきました。急に保護者ぶってごまかしてもダメです。ほら起きて」

「……もっとイガラシくんぽく起こして」

「起きろよ彩華。どうせオレの夢を見ているんだろ?」

「……」

「がんばったんだからリアクションくださいよ!」

「……おなかすいた。エッグベネディクト食べたい」

「もうできてます。早く食べて働いてください」

「……やっぱりサンマーメンがいいわ」

「そっちもできてます。ほら、キリキリ働いて」

 こんな風に自堕落な叔母をなだめてすかして働かせるのも、居候たる助手の務めだ。まあボスが食べたいものを予想して作っておくなど、母に同じことをしていた僕には造作もない。

 僕が仕事の要求レベルを上げられ困っているのは、彩華さんの「本業」の助手としてのことだ。


「そこへ座ってリラックスして」

 うっすら肌が透けるジプシー風の衣装を着た彩華さんが、立ち尽くす女性にソファを勧めた。さっきまでボサボサだった叔母の髪はきれいに巻かれ、いまは手首や首元、そして額にまで金のアクセサリーを飾っている。

「は、はい。失礼、します」

 女性はおっかなびっくり座りながら室内を見回した。

 ドレープのかかった赤い布で覆われた空間には、ところどころにキャンドルの炎が揺れている。部屋の後方に控えた僕の足元には、水晶球が六芒星を描く形で床に配置されていた。正直ちょっと、いやかなり邪魔くさい。

 このミステリアスかつ歩きにくい空間は、彩華さんのスイートにある占いサロンだ。

 何を隠そう僕の叔母――琴葉野彩華は、「必ず依頼人を満足させる」を売り文句にしている、自称「魔女」の占い師である。

「あなた自身の紙とペンで、名前と生年月日を書いてちょうだい」

 彩華さんは艶めく唇に優雅な笑みを浮かべ、細めた両目で依頼人を観察していた。いい魔女っぷりだと思う。毎晩ゲームで徹夜して、起き抜けに何食わぬ顔でラーメンをすする人にはとても見えない。僕が言うのもなんだけど、人目があるときの彩華さんは本当に美人だ。

「は、はい。ちょっと、待って、ください」

 対する依頼人の方は、グレーのスーツに眼鏡をかけた地味な女性だった。あたふたとガラステーブルに置いたバッグもノーブランドで、出てきた手帳も平凡そのもの。そのくせ薬指のリングは悪趣味極まりない派手さで、どこかちぐはぐな印象を受ける。

『鱒見かすみ 1985.6.7』

 昼休みに走ってきたというわりに、手帳に書かれた文字は几帳面できれいだ。

 しかしそれ以上に彼女が文字を書きつけた「ペン」が目を引く。白い花が大きくプリントされたデザインは女性らしいけれど、本人の控えめな装いには、これも指輪同様あまり似つかわしくない。

「電車から降りるとき、忘れ物がないか座っていた席を一度振り返るタイプね。よく言えば慎重。悪く言えば自分に自信が持てない」

 鱒見かすみはえっと小さく声を出し、すぐに口を両手でふさいだ。当たっているらしい。

「星のめぐりからすると、今年は人生の転換期よ」

 彩華さんがタロットカードを混ぜながら告げると、今度はびくりとして腰を浮かせる依頼人。

 この手のことを彩華さんはよく口にするけれど、大抵の人はきらきらと目を輝かせる。こんな風におびえた様子を見せる人は珍しい。

「三つの山から順に、一枚ずつカードを取ってちょうだい。終わったら一番左のカードを左手で左側にめくって」

 テーブルに並んだタロットの山から、鱒見かすみがおずおずとカードを抜いて自分の前に三枚並べた。次いで裏返された左端のカードには、瓶の水を大地と湖に注ぐ女性の絵柄が見えている。

「『星』を意味するこのカードはあなたの『過去』よ。私に伝わってくるのは……花を見つめる少女のイメージね。そこに憧れ、あるいは夢のようなものが感じられる」

「すごい……当たってます」

 彩華さんはやわらかな微笑みだけを返し、次をめくるようにうながした。

 依頼人が新たに開いた中央のカードには、天高くそびえる塔、そしてそこから落ちる人々という、いかにも不吉な情景が描かれている。

「『現在』を表すカードは『塔』ね。これは近い分はっきり読み取れる。あなたは……岐路に立っているわ。隣にいる男性は特別な人。お金を渡しているわね……三百万円くらいかしら」

「き、金額までわかるんですか」

 鱒見かすみはいよいよ青ざめ、膝に載せたバッグを両手でぎゅっと抱えこんだ。

「最後のカードはあなたの『未来』よ。自分の目で確かめなさい」

 彩華さんが示したカードを、震える指先がめくる。

 そこに描かれたイラストが見えた瞬間、鱒見かすみは手を引っこめて身をこわばらせた。

「これが……わたしの未来……」

 テーブルの上には山羊の頭にコウモリの翼を持った人型、言わずと知れた「悪魔」のカードが横たわっている。

「そうよ。あなたには意味がわかるでしょう?」

 依頼人はかすかに震えながらうなずいた。

「でも安心なさい。占いは破滅の未来を防ぐためにあるの」

 血のように赤いマニュキアを塗った彩華さんの指が、悪魔のカードをすっと横へずらす。

 するとその下に、なぜかタロットがもう一枚伏せられていた。

「このカードがもう一つのあなたの未来。この先を占ってほしければ、鑑定料は百万円。明日の土曜日、この時間にここへ持ってきて」


 すっかり青ざめた依頼人を出口へ見送ると、僕は取って返して叔母を問い詰めた。

「彩華さん、さっきの占いどういうことですか!」

 魔女は早くも自堕落人間に戻り、ソファでごろ寝しながらピスタチオを頬張っている。布で隠していた壁面のテレビに向け、ぽちぽちとリモコンをいじりつつ。

「見ての通りよ。彼女は結婚詐欺師にだまされているだけ」

「全然見ての通りませんけど」

「あら、今日の獅子座は臨時収入があるかもって。当たってるわ。さすが鈴鹿ステラ先生」

「テレビの占いコーナー見てないで説明してください!」

「私のラッキーアイテムはアヒルの卵ね」

「微妙に入手困難だ……じゃなくて!」

「レンくんの乙女座はぺんぺん草ですって」

「それラッキーなのかな……じゃなくて! 鱒見さんにした占いの意味を教えてくださいよ!」

「なんやかんやとすったもんだした挙句、最終的に女が背後から男に鈍器で殴られる。おかげで私は大儲けってことよ」

 いかにも適当に告げられたその予言に、僕は声を失った。

 彩華さんの占いは「当たるも八卦当たらぬも八卦」じゃない。怠惰な魔女が口にした運命は、いつも必ず現実に起こる。

 だって彩華さんは、占いなんてしていないのだから。


    2


「これがほんとの皮算用ね」

 最後の北京ダックを薄餅で巻きながら、彩華さんが楽しげに笑う。

 大金が入る前祝いということで、夕食は中華街へきていた。彩華さんは杏露酒を飲んでご機嫌だけれど、我が家の家計を憂う僕はその冗談を笑えない。

「そもそも、鱒見さんが結婚詐欺に遭っているってどういうことなんですか」

 僕はやけ気味に円卓の回転盤を動かし、ピータンの皿を引き寄せた。

「『見ての通り』って言ったでしょ」

 魔女は昼間の妖艶な衣装を着替え、いまは裾がゆったり広がったパンツに、薄手のニットを羽織っている。服装だけ見ればわりあい普通なのだけれど、彩華さんの場合は一般人を演じる女優のような華があった。同じ飾らない格好でも、鱒見かすみとはずいぶん違う。

 いや別に依頼人をおとしめたいわけじゃない。地味な彼女は地味なりに整っていて、白木の家具のような清潔感と安心感があった。個人的にはああいう人がボスなら楽だろうなと思う。

 そんな鱒見かすみに人目を引く華があるとすれば、それは文字通りペンの花柄だけだった。指輪も目立ってはいたけれど、あれは石もリングもギラギラしていて、白い歯並びに光る一本の金歯みたいな印象だったと記憶している。

「鱒見さんの派手な指輪がもらい物だってことは僕にもわかります。はめられた指を考えればそれがエンゲージリングであることも。でも、それだけで詐欺に遭っているとなぜわかるんですか」

 言いながら食事の皿に手を伸ばし、僕はあれと戸惑った。さっき引き寄せたはずのピータンが回転盤の上にない。そこにはなぜか七草入りの中華粥が鎮座している。

「占い師が相談される悩みの七割はお金と恋愛よ」

 彩華さんがピータンを口に運び、おいしそうに目を閉じた。

「鱒見さんもそうだとは限らないじゃないですか」

 僕はむっとしながら回転盤を引き戻し、ピータンを取り返す。

「彼女の問題を読み解く鍵になるのは、あの派手な指輪、花柄のペン、そしてレンくんの角度からは見えなかったバッグの中身ね」

「バッグの中身? なにが入っていたんですか?」

 気になって伸ばしかけた箸を止めた。

「本よ。『夢だったお花屋さんになる方法』、『誰にでもできる3ステップ起業』、『スマホで簡単! 通販サイトの作り方』。レンくんでもわかる脱サラ志願者でしょ」

「人をサルみたいに……あっ」

 止めていた箸を伸ばすと、そこには再び中華風七草粥があった。

「言葉の綾よ」

 彩華さんがニヤリと笑い、僕に挑戦の眼差しを送ってくる。

「それなら鱒見さんが聞きたかったのは、『仕事』や『将来』じゃないですか……あれっ」

 望むところとピータンを奪い返そうとしたけれど、なぜか回転盤が回らない。

「占いはそもそも未来を知るためのものよ。仕事もつきつめれば『お金』と同義。彼女の指輪はそれなりに価値があるけれど、デザインは明らかに十年以上前のものだった。不思議よね……ああ、やっぱり『座四季楼』のピータンは絶品」

 左手でがっちり回転盤を押さえ、右手で幸せそうに頬を押さえる彩華さん。

「くっ……なにが不思議なんですか」

「エンゲージリングに中古品を買う男なんていない。となると彼女の婚約者は、指輪をずっと前から持っていたことになる。使いまわしていると考えるのが自然ね」

 そう言い切られると、十九の僕はそういうものかと納得するしかない。

「そしてこれもレンくんの位置からは見えなかったけれど、彼女はソファに座ったときから、ずっとパンプスのつま先だけを出口に向けていたわ」

「つま先だけ? それすごく変ですよ」

 彩華さんのスイートは想像以上に広い。簡単に間取りを説明すると、玄関を通ってまず右手にドアがあり、その奥にリビングやキッチン、そして横浜の夜景を一望できる全面ガラス張りのジャグジーと、僕と彩華さんそれぞれの寝室がある。

 プライベートエリアに入らず廊下を進むと、全体を赤い布で覆われたサロンだ。右に彩華さんが座る三人がけのソファ、そしてガラステーブルを挟んで左にも来客用の同じものがある。

 話を戻すと、鱒見かすみはソファに座って正面の彩華さんを見ながら、足のつま先だけを廊下のある右側に向けていたということだ。まるで上半身と下半身が別人のような不自然な姿勢である。

「つま先の向きはポピュラーな非言語コミュニケーション。平たく言えば無意識のボディランゲージね。『浮き足立っている』なんて言葉があるでしょう」

「地に足がついていない、浮かれているって意味ですよね」

「ニュアンス的には誤用ね。本来は『つま先立ちになって落ち着かない様』という意味よ。鱒見さんは座った状態でかかとを浮かして、つま先だけを出口に向けていた。つまり『この場から逃げ出したい』と思っていたのよ」

「なんで逃げたいなんて……あっ! あーっ!」

 とうとう最後のピータンが、白髪ネギと一緒に魔女に食べられてしまった。皿の上にはもうなにもない。

「逆から考えればいいわ。彼女は子どもの頃から夢だった『お花屋さん』を開業したい。同時に彼氏にもプロポーズされた。そんなタイミングで占いにやってきたのに、無意識で結果を聞きたくないと思っている。どんな相手に求婚されたら、そんな合理性のない行動を取るかしらね」

「ピータン……」

「そう、ピータンよ。そして統計上、ピータンは獲物の財産の二分の一を吸い上げた時点でプロポーズして、残りのすべてを回収にかかる」

「すいませんピータンじゃなくて結婚詐欺師です。思いが募るからやめてください」

「鱒見さんの年齢と服装から判断すると、貯金の額はおよそ五百万。その半分以上を婚約者に渡しているのだから、彼女も彼をいぶかしんではいる。この婚約指輪は自分の前にも持ち主がいたんじゃないか。もしかして自分はだまされているんじゃないか。けれど自分の判断に自信が持てない。だから占い師を訪ねてみたけれど、真実を知るのはやっぱり怖い。婚約者のことを本気で好きなのよ」

 つまり、鱒見かすみが占いで知りたかったのは、恋愛とお金が密接に関わる、「婚約者が結婚詐欺師かどうか」ということだろう。

 しかし僕は腑に落ちなかった。というより腑が落ちこんでさえいた。「僕の位置から見えなかった情報」に驚かされてばかりで、ピータンを食べそびれたことに。

「バカね。私がかわいい甥っ子に、そんなひどいことするわけないでしょう」

 彩華さんが僕の心をさらりと読んで、DJがスクラッチするように小刻みに回転盤を動かす。

「ピータン……! ピーたん!」

 そこに見え隠れするピーたんとの再会に僕は感極まった。この琥珀に包まれた翠の宝石は、円卓の中央に置かれた水さしの陰、僕の死角にいただけだったのだ――。

 なんて偶然があるわけない。

 すべて、『かわいい甥っ子』をからかいたかった彩華さんの仕業だ。

 視野の死角から詐欺師の統計まで網羅した、深遠かつ膨大な知識。

 衣服や持ち物から依頼人の状況を言い当てる、名探偵のような洞察力。

 所作や表情で人の心を読んで操る、詐欺師まがいのテクニック。

 僕の叔母、琴葉野彩華は占い師なんかじゃない。

 その正体は――。

「その正体は元探偵の偽占い師。衣装は単なる雰囲気作りで、床の水晶球も護身用よ」

 こうやって人の心を読み取って口に出すのはもちろん、彩華さんは依頼人に引かせるタロットだって自由に操れる。サロンの応接家具が机と椅子でなくソファとガラステーブルであるのも、目や口よりもものを言う「足」を観察するためだ。わざわざ『あなた自身の紙とペンで』なんて依頼人に注文をつけるのも、バッグの中を盗み見て、悩みを推理する材料を探すためにすぎない。

 百発百中な魔女の占いには、すべて種と仕掛けがある。

 つまるところ、彩華さんは偽占い師だ。

 けれどその売り文句通り、「必ず依頼人を満足させる占い師」でもある。彩華さんはその魔女の瞳を用いて、悩める本人すら気づいていない問題を見抜くのだ。

「……はいはい。甥っ子の心を読むのはさぞ面白いんでしょうね」

 僕は椅子の背もたれに体をあずけ、あきらめのため息をついた。普通の人は心を読まれると怒るけれど、魔女と同居している僕はもう慣れきっている……はずだった。

「興味深いと言うべきね。人と対面していて椅子に深く腰掛けるのは完全なリラックス状態。ため息はストレスの緩和行動。レンくんは一見すると『やれやれ』というポーズを取ったつもりだろうけれど、本当にそうなら仕草の順序が逆よ。ため息よりも先に深く腰掛けたのは、『防御姿勢』と見るべきね。でも足にまでは力が入ってないから、緊張しているわけじゃない」

「……つまり?」

「レンくんは私に心を開いているくせに、一部にはかたくなに鍵をかけている。でもそれすらも本当は知ってほしいと思っているってことよ。女心より複雑な心理ね」

 僕は冷静を装ってジャスミン茶を口にし、やっぱり動揺に耐え切れずむせて鼻から吹いた。

 確かに僕は彩華さんに隠し事をしている。しかしまさかここまで正確に言い当てられるとは思いもよらなかった。

「そ、そんなことより、彩華さんは鱒見さんをどうするつもりですか」

 ごまかしのための話題転換は、これ以上ない愚問になった。詐欺師にだまされている依頼人を「満足させる」方法は、すでに奪われた財産を取り返す以外にない。

 詐欺事件は物証が少なく、加害者の「だます」という悪意を立証するのが難しいと聞く。しかし彩華さんにはすでに解決の道筋が見えているのだろう。

 だからこそ、依頼人にあれほど法外な料金をふっかけたのだ。百万払って三百万が返ってくるなら、鱒見かすみにとっては悪くない取引と言える。

「別にどうもしないわ。悪いのはだまされる人間よ」

 予想外の返答に僕の頭は一瞬混乱した。やや間を置いてから怒りが湧いてくる。

「ひどいじゃないですか! だまされているのを知っていながら、なにもしないなんて! その上死体に鞭打つみたいに百万円もせしめようなんて、悪徳すぎますよ!」

「確かに百万はいただけないわね。やっぱり三百万いただきましょう」

「いただけないの意味が違う! どんだけ極悪人ですか!」

 それに、問題はそのバカげた金額だけではない。

「彩華さんは言いましたよね。『最終的に女は背後から男に鈍器で殴られる』って。それでも鱒見さんを放っておくというんですか」

 どうしてそんなことになるのかわからないけれど、魔女の見立てでは、鱒見かすみは婚約者にガラスの灰皿や優勝トロフィー的なもので殴られるらしい。すなわち殺人の可能性が予見されているのだ。それを止めようともしないで、なにが依頼人を必ず満足させる占い師かと言いたい。

「お金を稼げって言ったのはレンくんでしょ」

「確かに言いましたよ。でも誰かの犠牲の上に成り立つ暮らしなんて絶対に嫌です」

「そういう自己満足な正義感、茜ちゃんにそっくりね」

「母さんは関係ない!」

 僕は両手をテーブルにたたきつけて立ち上がった。彩華さんは片眉を上げて応じた。

「犯罪者を捕まえるのは刑事の仕事。運命を読み解くのは占い師の仕事。偽占い師の私の仕事は、依頼人を満足させることよ」

「じゃあ彩華さんは、背後から鈍器で殴られて鱒見さんが喜ぶというんですか」

「人は噓をつくときにテーブルをたたかない。レンくんは鱒見さんを心から助けたいと思っている」

「だからそう言ってるじゃないですか!」

「残念だけど、それは助手の仕事じゃないわ」

 そう言われるとどうしようもなかった。僕は仕事に暮らしに叔母をサポートすることで生かされている、肩身の狭い居候にすぎない。

「……そうですね。下僕の僕にはピータンを食べる権利もないですもんね」

 座ってテーブルを見ると、さっき再会に歓喜したピータンの皿はすでに空になっていた。

「レンくんは下僕じゃないわ。頼もしい頭を持った助手よ――すみません、春巻き追加で」

「どんだけ皮算用する気ですか。というかピータン頼んでくださいよ」

「ピータンは私の、レンくんのは七草粥って決まってたでしょ」

「別に決まってないけどもういいです。助手は助手らしく働きますから」

 ふんとすねつつ、手帳をめくって彩華さんのスケジュールを確認する。

「明日は予約がありません。土曜日なのに珍しいですね。鱒見さんもこないと思いますし、どうぞ一日中食っちゃ寝ゲームしてください」

「私だって、いつもイガラシくんと会っているわけじゃないわ」

「スマホいじりながら言われても説得力ないですよ」

「それに鱒見さんはくるわよ。ついでに言うとその前にももう一件」

 うっかり見落としてしまったかと、僕はスケジュールを再確認した。

「えっと……やっぱりそんな予定ありませんけど」

「明日の午前中に必ずくるわ。忘れないで起こしてね」

 これも根拠のある予言なのかと考えていると、僕のポケットが一度震えた。

「あ、メールです……うわ、本当に予約がきた」

 僕がWebサイト、「SALON de AYAKA」経由の鑑定依頼に驚いていると、なぜか彩華さんも初めてテーブルの上で動く味噌汁を見た少年のように目を丸くしていた。

「いやなんで彩華さんまでびっくりしてるんですか。この『海老名菜々』さんって人が依頼してくるのがわかってたんでしょう?」

「違うから驚いたのよ。私、本当に霊感に目覚めたのかしら」

 残念ながらそれはない。自分を「偽占い師」と断言しているけれど、彩華さんはスピリチュアルなカウンセリングを否定しているわけじゃない。どころかむしろ大好きで、不特定多数に向けたテレビの一行占いを録画してまでチェックする人だ。

 しかし残念なことに、本人に霊能力の類は一切ない。あったら僕の秘密なんてとっくに見抜かれているし、五パーセントの確率で好感度が上がるイガラシくんへのプレゼント(五百円)だって無駄にはしないだろう。

 そんな彩華さんが占い師を騙っている理由は、本当に危機に直面している依頼人には、占いよりも偽占いの方がよい運命を導けると信じているからだ。

 実際にそう聞いたわけではないけれど、少なくとも一ヶ月助手を勤めた僕はそう感じている。だからこそ、彩華さんが鱒見かすみのような人に手を差し伸べない理由がわからない。

「海老名菜々……パスね。適当に理由をつけて断っておいて」

 なにやらコピー用紙の束をめくりながら、偽占い師は顔をしかめている。

「えっ。断っていいんですか?」

「その子、要注意客のリストに載ってるのよ。占い師のレビューサイトを作ってるマニアで、扱いを間違うとネットでたたかれるわ」

「どこから手に入れたんですかそのリスト」

「同業者よ。私たちみたいな、しがないかよわい個人事業主は、横のつながりを持って自衛しないと生きていけないわ」

 まあそういう時代なのかもしれない。飲食店なんかはレビューサイトの星の数が客足に影響するというし。

 さておき、僕が断っていいかと聞き返したのは、相手の素性を知らなかったからじゃない。せっかく予言が当たるのに、わざわざ自分からはずれるように仕向けなくてもと思ったのだ。

 しかし恐ろしいことに、翌日になると彩華さんの予言はやっぱり当たってしまうのだった。


    3


「かすみからぼったくろうとしている占い師は、あんたか?」

 玄関のドアをたたいた男は、明らかに学生にしか見えない僕にすごんできた。

 時刻は土曜日の午前十一時。魔女の表情から察するに、どうやら彼が予言していた訪問者であるらしい。鱒見かすみがくるとしたら一時間後だし、おそらくすべて計算通りなのだろう。

「先生は中でお待ちです。廊下の先は歩きにくくなっておりますのでご注意を」

 赤のサロンへ案内しながら、僕はそれとなく男を観察した。

 年齢はたぶん三十代の半ば。服装はごく普通のジーンズとボタンダウンのシャツをごく普通に着ている。体型も中肉中背としか言いようがない。顔に至っては、似顔絵描きが半笑いで謝りそうなほどの特徴のなさだ。まあ僕も人のことは言えないけれど。

「なんで床に水晶球が置いてあるんだ。薄気味悪いな」

 無個性男がぶつくさとサロンに入ってくると、背後からもう一人現れた。

「こけおどしよ。雰囲気にのまれないで」

 黒いスーツにハイヒールを履いた大人の女性。化粧が濃いため断定しかねるけれど、見た目は三十代の後半くらいだろう。大胆に胸元の開いたインナーや茶色く染めた髪を見るに、やり手の女社長といった感じだ。男と違い、こちらはいかにも「仕事できます」といった空気をまとっている。

「あんたが、かすみから金をだまし取ろうとしてるのか?」

 男がガラステーブルの脇に立ち、彩華さんを見下ろして言った。

「占い師になにかを聞きたかったら、ただ正面に座ればいいのよ」

 魔女が優雅に微笑むと、来客二人が互いに目配せしあってソファに腰掛ける。

「で、今日占ってほしいのはどっち? もちろん二人の相性でもいいわよ」

「俺たちは占いにきたんじゃない。俺は鷺沼。昨日あんたが占った、鱒見かすみの婚約者だ」

 思わず男の顔を見直したけれど、やっぱり冴えない普通の人だ。彩華さんが結婚詐欺師なんて言うからどんな美男子かと思っていたのに。最近はこういう平凡顔がモテるんだろうか?

「そしてあたしはこういうものよ」

 女のほうがブランドもののバッグから名刺を取り出し、尻尾で縄張りを主張するワニのごとくにパシンとテーブルにたたきつけた。

『M&Mコンサルティング シニアアドバイザー 滅田マリ』

 名刺にはよくわからない肩書きと名前、それに「MBA」やら「社会なんとか士」やらの文字がずらずら並んでいる。何者なのかはさっぱりだけれど、なんだかすごそうな人ではあった。

「あたしの仕事は、平たく言えば起業のアドバイザーね。鷺沼クンとはセミナーで知りあって、開業の相談をさせてもらってるわ」

 女がさりげなく鷺沼の肩に触れる。『鷺沼クン』という呼び方の調子は、文字にしたら「くん」がカタカナであるような、独特の親密さがあった。

「彼のフィアンセがペテン師にだまされていると聞いて、あたしから協力を申し出たの。あたしのことはマリメッタと呼んで。スタンフォード時代はそう呼ばれていたから」

 唐突な海外経験っぽいアピールも鼻についたけれど、それ以上に彩華さんをペテン師呼ばわりされたことに僕はむっときた。人間は本当のことを言われると怒る。

 しかし当の彩華さんは眉一つ動かさず、

「で?」

 と、クールに返しただけだった。こういうときの魔女は本当に頼もしい。

「要件は最後に言うわ。ひとまずあたしが聞いたところでは、鷺沼クンと鱒見さんも起業セミナーで知りあったらしいわね。たまたま二人ともフラワーショップを開業しようとしていて、意気投合したんですって」

 へー、いい話、なんて言いたいところだけど、すでに予言を聞いている僕には、偶然を装ったいかにも結婚詐欺師的な手口としか思えない。

「かすみは子どもの頃から花が好きだったんだ」

 鷺沼がマリメッタの説明を引き継ぐ。

「好きが高じて、いまもバイオ関係の研究職に就いている。あいつはその知識を活かして、屋内で管理栽培した花をネット販売しようとしてるんだ」

「顧客の注文に応じて、開花時間の短い花を最適な時期に届ける事業だそうよ。正直言って、現時点でのニーズは皆無ね。元々開業者自体少ない業界だし」

 起業アドバイザーが冷静な観点で補足した。

「そうなんだよ。かすみは職業柄か、ビジネスの視点が抜け落ちてる。でもあいつがやりたいのは金儲けじゃなく、花を人に見てもらうことなんだ。学生の頃に花屋でバイトしていて、売れ残りの切り花を廃棄するのがつらかったらしい」

 鷺沼は誇らしげな面持ちで語ったのち、すぐにばつが悪そうに顔を伏せた。恋人のことを熱心にしゃべってしまい照れている、という演技だろうか。

 しかし彼が話した鱒見かすみのエピソード自体は、彼女の意外な一面というか、むしろ控えめな彼女らしいというか、僕はいっそうの好感を持った。こういう人は応援したくなる。

「あの金は――」

 ふいに鷺沼が声の調子を変えた。

「あんたがかすみから奪おうとしている百万は、あいつが十年かけてコツコツ貯めた金なんだよ。あと少し……あと少しであいつの夢がかなうんだ! 俺はそれをかなえてやりたい!」

 ドンとテーブルをたたいた鷺沼の瞳が潤んで揺れている。まあ詐欺師ともなれば、人前で泣く程度は容易にできるだろう。

 けれど男の様子に僕は違和感をおぼえた。なんだろう? なにがおかしい? ……そうだ。彩華さんが言っていたじゃないか。『人は噓をつくときにテーブルをたたかない』と。

 じゃあ鷺沼は演技をしていないのか? それってどういうことなんだ?

 彩華さんが鷺沼を詐欺師と認定した根拠は、鱒見かすみの反応と、あの派手な婚約指輪だけだ。そのデザインが古いから使いまわしていると言うけれど、もしかしたら母の形見だったなんて可能性もある。それを詐欺師の根拠とするにはあまりにも弱い。

 もちろん、逆に鷺沼が詐欺師じゃないという根拠もないけれど――。

 いや、ある。あった。

 僕は、鷺沼が結婚詐欺師ではない「最大の理由」に気づいてしまった。

「だから、かすみの大事な金を横からハイエナみたいにかっさらおうとするのはやめてくれ。今日は婚約者として、あんたにそれを頼みにきた」

 頭を下げた鷺沼の背中を見て、叫ばずにいられなかった。

「まったくだ! やめてください彩華さん!」

 僕はつかつかとソファに歩み寄り、魔女の隣にどすんと座る。鷺沼の涙は演技なんかじゃない。彼は間違いなく鱒見かすみを愛している。

「彩華さん、聞いてください。鷺沼さんは結婚詐欺師じゃありません」

「いいわレンくん。根拠を言ってみて」

 彩華さんは僕のほうを振り向かず、向かいに座った二人をじっと見つめている。

「だって詐欺師だったら、普通は本名なんて名乗らないですよね」

「当然ね。通常は偽名を用いるはずよ」

「そうです。もしも彩華さんが詐欺師だったら、自分に『鷺沼』なんて偽名をつけますか?」

「つけないわ。それだけは避ける名前と言ってもいい」

「そうです! 詐欺師が詐欺を連想する『鷺沼』なんて偽名を、自分につけるわけがないんですよ! つまり鷺沼さんは鷺沼さんであるがゆえに、絶対に詐欺師ではありえないんです!」

 僕の完璧な三段論法を聞いた鷺沼とマリメッタが、ぎょっとしたように顔を見合わせた。

 それも当然だろう。「あなたは結婚詐欺師だ」と言われたら怒るかもしれないけれど、「あなたは結婚詐欺師ではない」と言われたら……あれ? 普通はこんな風に驚かず、もっときょとんとしているべきじゃないか?

「バカバカしいと言いたいところだけど、正解よレンくん。彼はまだ結婚詐欺師じゃないわ」

 彩華さんは妖しく微笑みつつ、やっぱり正面の二人を見据えている。

 どういうことだろう? 鷺沼が詐欺師でないとわかっていたのなら、なぜ彩華さんは『鱒見かすみが結婚詐欺師にだまされている』なんて言ったんだ?

 予言がはずれたからごまかした? でもそのわりには涼しい顔に見える。

 もしかして、助手が反旗を翻すことも織りこみ済みだったのか?

「け、結婚詐欺師って、あ、あんたら、さっきからなにを――」

「占い師さん、『まだ』ってどういう意味かしら」

 狼狽するクライアントを制するように、マリメッタが鷺沼の胸に触れつつ身を乗り出した。

「先のことなんて誰にもわからない。私だって、あなただって、結婚詐欺師になる可能性はあるわ」

「その通りね」

 マリメッタがふふっと笑って満足そうにうなずいた……だけでは収まらず、ジョークがツボにはまったように、いつまでもくつくつと笑い続けている。

 しかし続く魔女の言葉を聞くと、その笑いもぴたりと止んだ。

「だから人は占いを発明したのよ。『未来』を知るためにね」

 彩華さんとマリメッタは、互いに不敵な笑みを浮かべてにらみ合っている。

 そのまま成り行きを見守っていると、意外なことに魔女のほうが先に勝負を降りた。

「あなたたちの要求はわかったわ。『感動的なご意見に翻意したので、私は鱒見さんからお金を受け取りません』。そういう内容の念書をあとで送ってあげる。今日はお引取り願うわ――レンくん」

 僕は慌てて助手の仕事に戻ろうとする。しかしソファを立ち上がりかけたところで、前から伸びてきたマリメッタの手に膝を押さえられた。

「ねえ占い師さん。せっかくきたんだから、鷺沼クンを占ってもらえないかしら」

 彩華さんは優雅な微笑みを口元に浮かべている。でもきっと、心の中では『しめしめ』と思っているに違いない。

 だって魔女は、いつだってそう思っているのだから。


『鷺沼康晴 1980・2・24』

 僕が用意した紙とペンで、鷺沼が名前と生年月日を書きなぐった。

「面白い運命ね。幸せと不幸が打ち消しあう組み合わせよ」

 生年月日や名前の画数を参照する占いは、種類も流派も多く存在する。ゆえに必ずしも解釈が一致するわけではないため、彩華さんはそれを利用して言いたいことを言っているだけだ。

 ただし、その占いには別の根拠が存在する。それがなにかはまだわからないけれど。

「左端のカードを左手で左側にめくってちょうだい」

 占う手段は今回もタロットだ。カードを三つの山に分けて現在過去未来を占う「スリーカード・オラクル」は素人目にもわかりやすいため、彩華さんは好んで使う。いわく『ハッタリはシンプルなほど効果的』らしい。マジシャンや詐欺師も同じことを言いそうだ。

「なんだこれ。嫌な絵だな」

 鷺沼が素直にカードを裏返すと、人々が落下する「塔」の絵柄が現れた。

 ただし、鱒見かすみのときとは違い、依頼人から見て上下が逆になっている。

「『塔』の逆位置ね。いいカードではないわ。見舞われた災難に悪手で対応する、借金で借金を返そうとする、そんなイメージが伝わってくる。なにか思い当たることは?」

「いや、俺はあとにも先にも借金なんてしていないが」

「私が読み取っているのは、あくまであなたの深層心理に浮かぶイメージよ。たとえば上司に欠点を指摘されたら、それを改善せずに部下を叱って溜飲を下げる。そういう理不尽を過去にしたことはない? もちろん相手は兄弟や恋人でもいいわ」

 鷺沼がはっとしたような顔を見せ、うつむき拳を握り締めた。

「占い師さん、それって誰にでも当てはまるんじゃない? あたしだって、ボーイフレンドに八つ当たりをしたことはあるわ」

「そうね。でもあなたと違って、鷺沼さんはその過去に罪の意識を感じている。あなたたちのオーラは全然違う色よ」

 マリメッタの横槍をそれらしい物言いであしらい、彩華さんの鑑定は続く。

「あなたは昔から無鉄砲だったみたいね。浅いか深いか考える前に海へ飛びこむタイプ。友達にはやされて、『坊っちゃん』みたいに二階から飛び降りる無闇をしてみたり。いつでも直感のままに決めるから、あとで代償を払うことが多い。だから仕事も……」

「ああ、何度か変えた。いまは三ヶ月前から無職だ」

 人の脳は隙間を埋めたがる。いまみたいに言いかけて途中でやめると、相手は気になってその部分を補おうとするらしい。法廷や取り調べなどでよく使われるテクニックだと、彩華さんから聞いたことがあった。

「三ヶ月前……その頃にわだかまりが感じられるわね。見えてきたわ……人の多い場所……並んで椅子に座っている。あなたは……誰かと意気投合した……でもその人は鱒見さんじゃない」

「そいつは……」

 口ごもった鷺沼の目つきは鋭い。サロンに乗りこんできたときと同じ、憎悪に満ちた表情だ。彩華さんはなにかをきちんと言い当てているらしい。

 しかしその占いの「根拠」はどこにあるのだろう? 手ぶらでやってきた鷺沼からは、鱒見かすみのように情報を得ることができない。筆跡による性格分析は信ぴょう性が高いらしいけれど、さすがに三ヶ月前に誰かと意気投合したなんてわかるはずもない。

「だんだん波長があってきたみたいね。イメージが広がっていくわ。あなたは……輝く目で前を見ている……お金を持っているわね……かなりの金額よ……あら?」

 彩華さんが目を閉じたまま、こめかみに手をやった。

「変ね。急に闇しか見えなくなったわ……でも声が聞こえる……苦しみ……? なにを恥じているの……? 待って、なにか浮かんできた。でも……やっぱりおかしい」

「なにが、おかしいんだ?」

 鷺沼がかすれた声で問いかける。

「あなたが、からっぽの部屋で膝を抱えているイメージよ。不思議よね。現実のあなたの部屋は、読みかけの本やまだ見ていないDVDであふれているのに」

 僕の正面で、鷺沼が苦悶としか言いようのない表情を浮かべた。部屋が散らかっているのが恥ずかしいのだろうか? それともDVDの中身が問題か? まあ後者ならこんな表情を浮かべるのもしょうがない。彩華さん美人だし。

「無理をしないで鷺沼さん。占いは未来を変えるきっかけを作れるけれど、過去の出来事はどうしようもない。それは闇に封じこめたままで構わないの。大丈夫だからね」

 彩華さんは子どもをあやすような口調で鷺沼をいたわった。どうやら僕が考えていた理由より、事態は深刻らしい。

「少し休憩にしましょうか。レンくん、鷺沼さんに飲み物を」

 僕はうなずいてキッチンに移動した。湯を沸かしながらここまでの情報を整理する。

 さっき彩華さんが占った『からっぽの部屋で膝を抱えているイメージ』は、なにもかも失ったような状態を連想させる。直前の『かなりの金額を持っている』状況からすると、鷺沼はそのお金をなくしてしまったんじゃないだろうか? それなら苦悶の表情を浮かべるに値するし、闇に封じこめたいと願う記憶だろう。

 実際になにがあったのかは不明だけれど、ひとまず話の流れからすると、『人の多い場所』は起業セミナーと考えていいと思う。しかしそこで意気投合した相手は鱒見かすみではないらしい。ならば同じくセミナーで知り合ったというマリメッタか?

 いや違う。鷺沼はその人物を『そいつ』と称して怒りを見せていた。すぐ隣にいるマリメッタを意識した感じじゃない。じゃあ……いったい誰なんだ?

「……もう推理が行き詰まった。本当になにがなにやらさっぱりだよ」

 温めておいたカップに茶を注ぎ、僕はためを息ついてひとりごちる。

 彩華さんは『頼もしい頭を持った助手』なんて言ってくれたけれど、実際の僕はなにもわかっていないこの体たらくだ。こんな状況で最適な行動を取らねばならないのだから、魔女の助手は本当に難易度が高くて困る。

「でも、彩華さんはまだ『過去』を読み取ったばかりだ」

 鷺沼が結婚詐欺師なのかそうでないのか。彩華さんは鱒見かすみを満足させられるのか。

 それらはこれから徐々に明らかになっていくだろう。僕にできる『助手の仕事』は、彩華さんをしっかりサポートすることだけだ。

 まあ……次にやるべきことを考えると、早速気が重いのだけれど。


    4


「どうぞ」

 ハーブティーを入れてサロンへ戻ると、僕は鷺沼と彩華さんの前にティーカップを置いた。

 少し迷って助手の定位置である部屋の隅ではなく、さっきと同じ彩華さんの隣に座る。自分の場所から見えない情報のせいで、またピータンを失うような目に遭うのはごめんだ。

「再開しましょう。鷺沼さん、イメージが萎縮するからあまり力まないで。ハブ茶でも飲んでリラックスするといいわ」

 彩華さんが微笑みながらカップを口元に運ぶ。助手の居場所はおとがめなしらしい。

 代わりに正面のマリメッタが僕をぎろりとにらんできた。自分だけ茶を出されなかったのだからさもありなんだろう。でも彩華さんは『鷺沼さんに』としか言わなかったのだから、助手が勝手に命令を無視するわけにもいかない。

「ハブ茶じゃなくてハーブティーだろ。占い師もくだらない冗談なんて言うのか」

 鷺沼はマリメッタの様子に気づかず、やや鼻白んだ態度を見せる。

「占い師だって人間よ。だから人の好きも嫌いもある。私はあなたに敵意を持っていないから、冗談だって言えるのよ。でも……笑わないなら流してほしかったわ」

 彩華さんが少し不満げに口をとがらせ、また一口ハーブティーを飲んだ。

 いまのハブ茶は失笑されることを前提にした冗談だ。その証拠に、くすりと笑った鷺沼は彩華さんにつられてカップに口をつけている。これが魔女流「かわいい」の作り方だとも知らずに。

「このお茶、結構高いやつだろう。香りが強い。カモミールだよな」

「さすがお花屋さんね。昔から植物に詳しいの?」

「いや、俺はごく最近――」

「時間が惜しいわ。早く続きをやってちょうだい」

 マリメッタが露骨にいらだって話をさえぎった。

 ふと、この人はなんでここにいるのだろうかと思う。自分だけ茶を出されない疎外感と屈辱を味わわされてまで、クライアントの占い結果を聞きたがる理由はちょっと考えつかない。

「『月』は迷いを表すカード。『現在』のあなたは葛藤しているということね」

 僕が首をかしげている間に、テーブルの上には夜空を見上げる動物たちのカードがあった。

「さっきと同じからっぽの部屋……あなたは女性を見ている……この人も鱒見さんじゃないわ。あなたは女性を崇拝しているような顔つき……渡りに船、救いの手、そういうものを見る目よ」

 鷺沼は答えない。よく見れば、その太ももにマリメッタの手が乗っている。

「休憩のおかげかしら。鮮明なイメージが浮かぶようになったわ。ここは……さっき言っていた起業セミナーね……あら、鱒見さんよ……ふふ、興奮してるみたい。同じ夢を持った人に出会えて嬉しかったのね。いつもより積極的に話しているわ」

 マンガだったら鱒見かすみがキラーンと眼鏡を輝かせ、好きな花についてまくしたてているシーンだろう。それでいて自分がしゃべりすぎていないかと、ときどき上目づかいに鷺沼をうかがう様子が目に浮かぶ。

 余計なお世話かもしれないけれど、鱒見かすみには幸せになってほしい。恋の行方が微妙であるなら、せめて好きな花の仕事だけでもうまくいかせてあげたい。『背後から男に鈍器で殴られる』という予言だけははずれてくれと切に願う。

「心から嬉しそうな鱒見さんに対して、あなたは不安いっぱいという顔ね……彼女からは花のイメージがひしひし伝わってくるのに、あなたからはその色も香りも感じない……イメージを読み取りにくいというより、最初からなにもない印象よ」

「それは……遅かったんだ。俺が花屋をこころざしたのは、かすみに会う直前で……だからきっと花のイメージが弱くて……」

 鷺沼の額が汗で輝き出す。

 マリメッタがこちらを威嚇するように大げさに足を組み替えた。

「やっぱりあなたはペテン師ね。いまの話は、お茶のときに鷺沼クンから引き出した情報でしょ。それをもっともらしく言い換えているだけだわ」

 その指摘はたぶん正しい。だからといって魔女が動じるはずもない。

「目指した時期は関係ないわ。鷺沼さんから新たに事業を始める人の希望すら感じられないのが問題よ。からっぽの部屋で膝を抱える前の鷺沼さんは、確かに前を向いて目を輝かせていたわ」

「それは……あんたが勝手に言ってるだけだ。イメージだ。現実の……現実の話じゃない」

 鷺沼が苦しげにうつむいてぎゅっと拳を握った。

「ならあなたも勝手に言えばいいわ。つらい過去や罪の意識は、口に出すことで楽になる。占い師がハーブやキャンドルを用いるのは演出じゃない。依頼人をリラックスさせて、少しでも不安を取り除いてあげたいからよ。罪の意識、屈辱、そして過去に縛られて葛藤するあなたを、私は楽にしてあげられる。私の目を見て。そう。力を抜いて」

 顔を上げた鷺沼が、彩華さんを見て徐々に握った手を開いた。

「深く息を吸って……吐いて。また吸って……吐いて。ほら、体が軽くなるでしょう? 人は口からものを吐き出すと楽になるの。愚痴でも噓でも空気でも、とにかく口から出してしまえば心の負担は減っていくわ。黙っていると罪の意識が肺に充満して、どんどん息苦しくなるわよ」

 効果が確認できたのか、鷺沼が小刻みにうなずいた。

 この人は素直というか……大丈夫なんだろうかと思う。サロンへきてから怒ったり泣いたり忙しいし、いまもそんな感情をぶつけていた相手にあっさりコントロールされている。僕ですら子犬みたいな危うさだと心配してしまうのだから、鱒見かすみは相当に母性本能を刺激されただろう。

「じゃあ続けるわね。ふふ……鱒見さんすごく幸せそう。彼氏が無職でしょっちゅうおこづかいをせびってくるのに、ずっと笑っているわ」

 鷺沼がようやく心を落ち着かせたというのに、彩華さんはいきなり言葉にトゲを含ませた。たぶん直前で三回も口にした『罪の意識』を刺激しているのだと思う。

「なのにあなたはつらそうね……気を抜くと漏れ出る罪悪感を、必死に体の内に閉じこめようとしているみたい……あら、そんな顔のまま指輪を渡したわ……代わりにお金を受け取っている……合計で三百万円ほどね。なんのお金かしら」

「それは、その、俺が開業するのにいい物件を見つけたから……」

「噓ね」

 しどろもどろな鷺沼を、彩華さんがばっさり切り捨てた。

「う、噓じゃない。急いで契約が必要な状況で、俺には持ちあわせがなくって、だからプロポーズもしたし、かすみにちょっと用立てしてもらって……」

 吐き出せば楽になると明示したせいか、鷺沼がぺらぺらと早口でしゃべる。そのあわれなほどに不自然な雄弁は、言葉にまったく真実味を感じさせない。

「だったらその物件はどこにあるの? そもそも開業しようとしている人がお金を持ちあわせてないってなに? 隣の起業アドバイザーは、あなたに『資本金ゼロでもできる開業テクニック』をレクチャーしてくれたの?」