【第六章 とあるラノベ編集の仕事目録 編集者になってから編】

■恩人は、新手のツンデレキャラ

 二〇一一年、編集者一〇年目。通算担当作品は三〇〇冊を突破していました。

 このころは、『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』の実写映画化や、『電波女と青春男』のTVアニメ放送、『俺の妹』TVアニメ放送、『とある魔術の禁書目録(インデックス)』のアニメ二期も放送するなど、メディア展開が賑やかでした。原作の最終二十二巻までをアニメで描ききった『灼眼のシャナ』アニメ三期もありました。

 電撃文庫もどんどん大きくなっていき、名実ともにエンタメ小説(ラノベ)業界ナンバーワンのレーベルに育っていました。

 ここまで、僕が編集者として過ごした一〇年間を足早に語ってきたわけですが、じつは、一つ嘘をついていることがあります。

 それは、自分の力ですべてを成し遂げてきたかの如く書いてしまっているところです。

 僕がここまで頑張ってこれたのは、たくさんの『恩人』のおかげでした。

『編集者は、一人では何も出来ない、何も生み出せない職種』であることは、すでにお伝えしたかと思います。『本を作り上げる』ことを目指す同志たちとスクラムを組み続けていることは、今も変わっていません。相変わらず凡ミスをやらかす僕をきっちりとスケジュール管理してくれる生産管理局の面々、今まで経験したことのない未知の販売促進プランを現実的に可能かどうか助言してくれる宣伝局の面々、想いを込めてつくった本を日本全国にきっちりと届けてくれる営業企画局の面々、電撃文庫夏のフェアのホームページ制作や電子書籍をプロデュースしてくれるデジタルコンテンツ部の面々……本当に頼もしいパートナーです。

 そして部内では、この自由な環境をずっと守り続けてくれた、僕の上司たち。徳田直巳編集長(当時)、小山直子部長(上司としてだけでなく、現場では入間さんのダブル担当で助けてくれました)、鈴木一智統括編集長。好きなことを好きなようにやらせてくれたその器の大きさに、僕は何度救われたか分かりません。

 器の大きさといえば、こんなエピソードがあります。

 ある仕事で、かなり深刻なミスをしてしまったときのことです。僕はとても落ち込んでしまい、憂鬱な気持ちで、その件を鈴木統括編集長に報告しました。どんな処罰や叱責も覚悟の上でした。

「――というような状況です。非常に反省しています。申し訳ありませんでした」

「はい了解。また頑張ろう。ところで俺さ、昨日凄いギター買っちゃってさ~。ちょっと見てくれよ!」

 事情報告を一通り聞いて理解した後、鈴木統括編集長はおもむろにデスクの後ろからギターケースを引っ張り出して、そのギターのどこが良いかを語り始めたのです。

 僕は、あまりに意外な展開に驚きつつも、こう返しました。

(実際の返答)「お……おお~、良いギターっスねぇ~。いくらしたんスか?」

(僕の心の声)「えっ!? 『はい了解』の一言で終わるレベルの失敗じゃなかったぞ!? それくらい自分でもわかるのに……なんだこの人!?」

 突然ですが、ここで『忠臣蔵』の大石内蔵助について説明させてください。

 大石内蔵助は播磨国赤穂藩の家老です。平時における彼は、特出するところのない凡庸な人間でした。部下である藩士や一般市民からの人気は高かったものの、遊び好きな上、仕事にもあまり精を出さなかったため、周りからは『昼行灯』(昼に行灯は必要ない=役に立たない人)と呼ばれ、バカにされていました。

 しかし、いざ緊急事態になると一転、カリスマを持つ頼もしいリーダーへと変貌します。吉良上野介に対する『主君の仇討ち』を志したとき、大石内蔵助彼は決行まで、血気盛んな他の藩士達を制し、あえて『昼行灯』を演じ続けました。『仇討ち』の情報が少しでも漏れたら策はたちまち失敗するからです。そして、江戸界隈であらゆる監視の目が光る中、『昼行灯』は闇夜に煌々と輝く提灯となり、ついに『仇討ち』を果たしたのでした。

 つまり、僕の上司は、まさに大石内蔵助のような人物だったのです。

 彼は、僕が仕事のミスを報告しに来た時点で、すでに状況を把握していたのです。『昼行灯』を演じることで、現場編集者である僕が、これからも続くその仕事の後始末や今後の新たな仕事に対して変に臆病にならないように、不健全なプレッシャーがかからないように、あえて気軽な感じで接してくれていたのです。そして、ギターについて喜々として僕に語るその裏では、迷惑をかけた社内各部へしっかりとフォローをしてまわり、現場に直接クレームがこないように動いてくれていました。

 ……なんだろう、この上司は。新手のツンデレタイプでしょうか。萌えキャラ化したら凄く人気が出るヒロインになる気がします。

 叱ったり、怒ったり、厳しく対応するだけが『指導』ではありません。失敗は誰でもやってしまうものですから、そのあと、どう頑張ろうと奮起させてやるかも『指導』の持つ重要な意味であることをこのとき学びました。

『恩人』に見守られていたからこそ、今の自分があります。編集者は『一人遊び』の延長線上、と表現しましたが、それは大きな間違いでもあったのです。