【第三章 とあるラノベ編集の仕事目録 編集者になるまで編】

■来なくなった仕事以外のメール

 ここまで前途洋々、順風満帆な様子で描いてきましたが、編集者としての苦悩も当然たくさんありました。

 作家は機械ではありません。創作に悩みはつきもので、どれだけ才能豊かに思える人でも、生みの苦しみがあります。そんな作家のサポートやケアも編集者の重要な仕事です。

 某作家の刊行予定発表済み原稿が、まったく上がらなかったときのことです。

 悩みを抱えた作家と会い、打開策を見つけるためにホテルのロビーで相談に乗っていました。作家は創作面、プライベート面双方に悩みがあるようでした。ときに同情し、ときに鼓舞し、ときに自虐を披露し、ときにピエロを演じて笑いを誘い……作家が満足いくまで、ずっと膝をつき合わせました。僕はポジティブな性格なので、一緒になって落ち込むのではなく、悩みなんて明るく笑って吹き飛ばそうぜ! という心持ちで作家と向き合っていました。それでも、作家の悩みは解決しないまま、気づけば翌日の朝になっていました。いったんお開きにして、そのまま僕は会社の会議に向かいました。そしてまた夜になればその作家のもとへ。それが幾度も続いたので、最終的には会社の机の下に寝袋を用意して臨みました。

 数日後。「いろいろ話をきいてくれて、ありがとうございました。気が晴れました。こんなことやってる場合じゃないや、原稿、頑張ってみます!」そう笑顔で話す作家さんが目の前にいました。『こんなことやっている場合じゃない』と軽口を叩いてくれる結果になって、本当に良かったと、当時は胸をなでおろしました。

 もう一つ、某イラストレーターに発注したイラストが、いっこうに上がらなかったときのことです。

 進捗を確認するため、イラストレーターの住まいである大阪に週三回行き、その都度日帰りで東京へ戻るという短期出張を繰り返しました。しかも日帰りといっても、午前帰りです。始発の新幹線で新大阪まで行き、駅でお土産を買ってそこからイラストレーターの自宅に直行。イラストの仕上がりがなぜ芳しくないかという相談をし、すぐに東京に戻れば、なんと昼十二時から始まる編集部の会議に間に合うのです! 

 これを週三回繰り返しました。他の仕事も当然待ってくれませんから、行き帰りの新幹線ではずっと原稿を読んでいました。「発売を延期すればいいのでは?」と思われるかもしれませんが、ここは僕の『意地』でした。すでに刊行予定は発表されていますし、小説原稿も上がっています。作家に申し開きができませんし、なにより楽しみにしている読者のためにも、延期はありえません。

 結果、本当のギリギリでイラストは完成し、無事に発売することができました。その作品は人気シリーズでしたので、たくさんの読者を悲しませずにすみました。校了(その本の全ての作業が終わること)した瞬間、その日一日は抜け殻のようになってしまいました。

 そんな「編集者としての醍醐味」を味わっている合間も、勉強はできるかぎりやっていました。たとえば、電撃小説大賞の一次選考で落選した応募原稿をランダムで選んで読んだり(本来一次選考は『下読み』という専門の方が読みます)、映画は年に一〇〇本をノルマとし、会社終わりの深夜レイトショーで観たり、話題のマンガを片っ端から読破したり……。

 忙しい中でも、僕がこれらを自分に課したのには、理由がありました。

 作家志望者へのアドバイスとしてよく言われる「とにかく書いて書いて書きまくることが上達の秘訣」という言葉。これは正しくて、人間は反復練習すればかならずその分野の技術に習熟していくようにできています。だから同じく、イラストレーターのタマゴにも「とにかく、描いて描いて描きまくることが上達の秘訣」と伝えています。これも正しいでしょう。

 では編集者は? もちろん「とにかく編集して編集して編集しまくることが上達の秘訣」です。そして編集しまくるためには、事前準備が必要です。作家にとっての創作ノート、イラストレーターにとってのペイントソフトと同じで、編集者にとっては無数の創作物に触れておくことが、より密度の濃い反復練習の下準備になると僕は考えました。だからどんなに時間がなくても、今現在もそうしています。

 おかげで、作家との共通知識が増え、打ち合わせがとてもスムーズに進むようになりました。物語の展開や設定を考えるとき、膨大にインプットした知識が引き出しとなって役立ったことは言うまでもありません。

 僕は時間の許す限り、とにかく、創作物に触れて触れて触れまくって編集して編集して編集しまくってきました。そして、ふと気づけば、大学時代に仲が良かった友人の結婚式がいつの間にか終わっていました。 

 この頃から、物理学科の同期飲みにも誘われなくなっていました。

 就職活動で知り合った編集者同士の情報交換会のメールも来なくなりました。