【第三章 とあるラノベ編集の仕事目録 編集者になるまで編】

■無知を知ることが編集としての最初の仕事

 ここまでの生い立ちで、小説の話題が一切出てきていません。

 ですが、これには理由があります。

 僕は編集者になるまで、ほとんど小説を読んだことがなかったからです。唯一読んだといえば、物理学者カール・セーガンが書いた科学小説『コスモス』(朝日新聞出版社刊)、『コンタクト』(新潮社刊)といった作品くらいです。これは編集者にとっては相当致命的ですが、しかし、この「今まで小説(ラノベやエンタメ小説)に全く触れたことがない」という『欠陥』が、のちの自分の編集人生にとても良い効果を生むことになります。

 東京の文化の多様性に心地よく浸りながら、僕は危うい大学生活をどうにか留年せずに乗り越えました(かなり落ちこぼれでしたが)。

 そして大学三年生の秋、みんなが就職を意識する季節。

 僕はこの頃には既に、志望をマスコミ各社だけに絞っていました。

 あらゆる面白いものが必ずどこかに存在する東京に感動した僕は、今度は自分がその「面白いもの」の送り手になりたいと思ったからです。

 テレビ局やレコードメーカー、大手出版社などをどんどん受けていきます。しかし結果からいうと、すべて落ちました。

 今思い返せば理由は単純で、他の就活生よりも自慢できることが何一つなかったからなのですが、そんな自己分析すら出来ず、徐々に現実味を帯びてくる就職浪人の可能性に焦りを感じ始めていました。

 そしてほぼ最後のマスコミ就活タイミングである、大学四年生の夏頃のことです。

 ギリギリで、ようやく一社の内定をもらいました。それが当時の株式会社メディアワークスです。ここがダメならもう終わりでした。メディアワークスはマスコミでもかなり遅いタイミングで新卒採用試験を行っていたので、本当に就職浪人ギリギリの、滑り込みセーフというやつです。

 ちなみに僕は、お世辞にも清潔感があるとは言えない風貌をしています(僕の顔を見ると、みんなが寝不足ですねとか、顔色悪いですねと言います)。履歴書の字は汚いですし、運動系部活動やボランティア運動、留学経験など誇れる要素は全くありませんでした。つまり採用を担当する人事部の人間に愛される要素は皆無だったのです。にもかかわらず、なぜメディアワークスがこんな僕を拾ってくれたのか? これはあとから塚田正晃社長(現在はアスキー・メディアワークス事業局長)に聞いた話ですが、僕の採用はいわゆる『ギャンブル枠』、つまり『たぶん採用しても十中八九使えないけど、もしかしたらまぐれ当たりするかもしれない爆弾枠』だったのだそうです。

 え、なにそれ会社ってそんな枠あるの? と、とにかく滑り込みセーフ……!

 話を戻しましょう。僕が入社前にメディアワークスという会社について持っていたイメージを一言で表すとしたら『アメリカンコミックに強い出版社』です。当時からオタク系コンテンツに強い会社でしたが、二〇〇〇年前後に『SPAWN』(トッド・マクファーレン著)というアメコミとその派生グッズのガイド本などを出版していたからです。大学時代、フィギュアのカッコ良さをきっかけとして『SPAWN』が大好きになった僕は、「ここに入ればグッズがもらえるかも」という邪な気持ちのもとメディアワークスを受けました。

 ただ、面接で希望の部署を聞かれたときは「電撃ホビーマガジン」を志望していました。『ガンダムを実際の科学で再現することに挑戦!』という『空想科学読本』(柳田理科雄著)のパクリのような企画をエントリーシートに記入し、面接でプレゼンしていたためです。今思えばそんなダメ企画をよく提案したものです。赤い彗星曰くの「坊やだからさ……」的な若気の至りに戦慄します。

 さて、いざメディアワークスに入社したはいいのですが、僕のなかでは一抹の不安がありました。うっすらお気づきかもしれませんが、僕は当時まったくオタク的知識を持っていなかったのです。コミックマーケット(毎年二回開催される、アニメやマンガ、ゲームなどを中心とした日本最大の同人即売会)の存在すら知りません。電撃ブランドも「電撃ネットワーク」というお笑い芸人と関係があるのかとさえ思っていました(これ本当です)。

 当然ながら電撃文庫についても、なにも知りませんでした。

 一年目は、紙などの資材を管理する出版部というところに配属されました。僕が電撃文庫の編集者になるのは、入社二年目の二〇〇一年の三月、会社から第二編集部(電撃文庫編集部)への異動辞令が下ってからです。

 ここで初めて、僕は電撃文庫を読みました。とにかく、異動先ではどんな本を出しているのかを知っておかないとまずい、と思ったからです。そんな短絡的な考えしかない僕ですから、選ぶ本も、『その部署で一番売れている文庫』でした。

 タイトルは『ブギーポップは笑わない』(上遠野浩平著)。『その人が一番美しい時に、それ以上醜くなる前に殺す』という都市伝説を持つ『死神』にまつわる少年少女の話でした。

 初めての電撃文庫で、業界の金字塔的作品、最高の名作に出会います。

「おいおい……小説って、むちゃくちゃ面白いじゃないか!!」

 読者として、編集者として、僕の電撃文庫人生がスタートした瞬間です。